歌紡ぎ 心奏12

12話。

　どこか苦しそうなその声に俺だけでなく、博士も目を丸くしていた。

「……マスター？」

　恐る恐るマスターに声をかける。そこには病室に入る前の俺がいた。
　入るか入らないか、迷って――もう逃げることはしたくない。でも、その決意がなかなか出来ない。そんな状態だった。

「あの時、歌わせてやるっていったのはお前のためだけじゃない。俺のためでもあったんだ」

　きゅっときつく握られた拳。

「なんとなくお前に自分と似てるとこが見えて――初城に、他人に任せるより自分でやったらなにか変われるかもしれないって思って」
　
　こんなマスターは初めて見た。俺が今まで見てきたマスターは、いつも落ち着いていた。感情に振り回されているようなことは一切なかった。

「俺が変わるために、こいつを……」

　言いよどんだ先はなんとなく予想が出来た。
　しん、とした静寂が病室内に広がる。誰も、離そうとしない。マスターは俯いたまま動かなかった。

「カイト」

　俺の名前を呼んで、この沈黙を破ったのは博士だった。
　その声に応じるように博士を見ると、真面目な顔とぶつかる。
　
「今は、歌えるんだよね？」
「はい」
「それじゃあ、歌ってくれるかな？」
「――ここで、ですか？」
「ここで」

　確認する俺に博士は当然だと言わんばかりの強さで頷く。

「――できれば、彼から調整された歌を」

　博士の提案に俯いていたマスターが弾かれたように顔を上げた。

「……アカペラになっちゃいますけど」
「テンポとか大体わかるから大丈夫だよ」

　ふわっといつもの笑みを浮かべる博士に、俺はゆっくりと息を吸い込んだ。


　――――星がめぐり　花は目覚め
　　　　　鳥がつむぐ　夜明けの歌

　　　　　夢見た場所は　遥か遠くの月
　　　　　見守るような　憧憬の光に包まれ
　　　　　水に映る影を掬っては　
　　　　　仮初の夢を見る

　　　　　星がおちて　空は消えて
　　　　　風が告げる　永遠の調べ

　　　　　輝きに惹かれ　伸ばした両の手は
　　　　　天には届かず　空しさ生んで地に落ちる
　　　　　「触れたい」と泣き叫んでは
　　　　　叶わぬ夢を見る

　　　　　時が過ぎて　流れた日々
　　　　　願いうすれ　忘れた夢

　　　　　太陽と月の逢瀬に　湧き上がる想い
　　　　　今は遠く近く　触れた月虹
　　　　　幸福な夢の名残

　　　　　星がながれ　花は開き
　　　　　時がみせる　夢のコイ

　　　　　月のあかり　見果てぬ願い
　　　　　時が見せる　永遠の夢――――


　最後のフレーズの余韻が終わるとともに、俺は唇をきつく結んだ。
　この間よりはうまく歌えたと、思うけど……どうなんだろうか……。
　少し不安な面持ちで博士を見ると、なにやら真剣な顔で考え込んでいるようだった。

「――――君、初城さんにミクとメイコを預けることになったコンペにも提出してたよね」

　唐突な博士のセリフにマスターの瞳が揺らいだ。

「え、あ――はい、出してましたけど……」
「やっぱり。綺麗な音だけど、どこか空っぽで――」
「あ――……」
　
　自覚があったのかマスターはまた黙り込んでしまう。博士、一体なにを……。

「多分、僕来週ぐらいには研究所に帰れると思うんだ」
「大丈夫なんですか？」

　つい口を挟んでしまった。意識が戻ってからまだ間もないはずだ。それなのに、もう退院していいなんて……。

「しばらくは通院だけど」

　苦笑しながら返す博士は、けれどマスターに向き合うと研究者の顔になる。

「さっきカイトが歌ってたもののオケを持ってきて欲しんだけど……大丈夫かな？」

　予想していなかった言葉に、俺とマスターの目が忙しなくまばたきをした。

「本登録もしないといけないしね」

　優しい優しい、声音。言われたことは分かるのに、内容がうまく入ってこない。
　先に理解したのは、マスターだった。

「それって……」
「――カイトのマスターをお願いしたいのだけれど、だめかな？」

　いたずらっぽく呟く博士に、マスターの首がふるふると横に動く。

「少し、不安定なところもある子かも知れないけど、よろしくお願いします」

　そう微笑んで頭を下げる博士の表情はどこまでも優しかった。